2016.11.17
No.05 藤枝・まちの誕生から現代まで1300年の歴史散歩
たまに出かける海外で、同じツアーで一緒になった同じ年代の御夫婦。
「いろんなところに出掛けた。北極海から砕氷船に乗って南極まで、120、130ヵ国位か、随分投資した」
「これからも、行けるところは全て行きたい」とまあ、何とも羨ましい事です。
しかし、「お宅の付近の○○○○○は、凄くいいですね!」と振ると「そう、○○○○○よくわからない」。次に「此処はどんな感じですか?」「それも、どうもよく知らないなー」と帰って来ました。
今回の“藤枝・まちの誕生から現代まで1300年の歴史散歩”の参加者は、情報学部で学ぶ市外にお住いの学生さん。「藤枝の人はあまり来ない…」と案内の西野商店・店主の西野さん。
案外世間の皆様は、「地元は、最後にとっておく」作戦の様です。
それにしても有り余る引き出しを醸し出すその風貌と、明快な説明は、リポーターの様な初心者にも優しい。
では、少し習って散歩に出掛けましょう。
おなじみ「おんぱく旗」
蘭字(茶箱ラベル)
案内の西野店主
参加者の学生さん
資料を手元に
鬼岩寺から南へ貫く古代の大路を説明
赤い直線が、古代大路
跋扈した妖怪ども(現在のは、もっと怖い)
各地は土天神(手前)、藤枝は志太天神(後)
最初は月見里神社
通りは古代大路、鬼(木)町を突き抜け南へ
「やまなし」とルビ
上伝馬に
問屋場の様子が描かれた看板の前
運送料金を「算盤で」交渉中
神明神社に来ました
ご存知「藤枝梅安」、レジェンド池波正太郎です。
向かいの金網店のシャッター扉
この神明神社が「生誕の地」なのです
大慶寺前を東へ
昔は、銀行さんだった。長楽寺公園更を東へ
若一王子神社へは進路北へ、鳥居前を進路は今度は西へ(Uターン)
国際貿易時代を象徴「茶商館」、とんがり屋根はルーマニア北部の木造正教会の屋根に似ている……様な気がします。
鬼瓦には、「茶」の文字が。
家康ゆかりの寺。関ケ原に向かう際に休憩、美濃柿を献上され美濃を手にした(関ケ原を我が物とした)と喜んだということです
ここから小坂を経て古代の道を西北に、鬼岩寺へ向かいます。
ぐるっと反時計回りに鬼岩寺へ、立ち戻った様な感覚がします。
鬼岩寺境内から、非常に多くの石塔が出土、解り易い案内を聞く
大井川流域には、数多くの「馬頭観音」が存在しています。
蘭字ギャラリーに戻り、フォロー案内。
蘭字(茶箱7のラベル)の説明
そして、記念撮影。
西野商店には、今が盛りの花々の華やかな色、勢い盛んな草木の緑が、会場の直ぐ先に有ったんです。
今は使用されていない蔦も張り出した建物等を含め、出来れば参加者の方の眼に触れて頂ければと感じています。
リポーター・半田